2008年07月03日

幸せ

幸せとは何かと
考えているうち
幸せは通り過ぎて行く

人生とは何かと
考えているうち
人生は終わってしまう
posted by 無我 at 15:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

あたりまえに生きる

あたりまえに洗濯をし
あたりまえに食事をし
あたりまえに仕事をする

あたりまえに生きることが、幸福であり
また、将来の幸福のための、確かな布石である

特別な生き方をしようとするから、道を踏み外すのだ
posted by 無我 at 15:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月31日

不便

もっと便利に
もっと便利にと

探すほうが不便だな
posted by 無我 at 08:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やったら

やったらとまらないから
やらないほうがいいんだな
posted by 無我 at 08:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月17日

どうせ

どうせ

やらなきゃいけないのだから

たのしんでやったほうがいいんだな

なきながらやるよりも

わらいながらやったほうがいいんだな


どうせ

いきなきゃならないのだから

たのしんでいきたほうがいいんだな

なきながらいきるよりも

わらいながらいきたほうがいいんだな
posted by 無我 at 21:58 | TrackBack(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月12日

人をせめるとき

まわりの信頼を失う覚悟で
せめの言葉を
発しなければならないことがある

これまで築いてきたものが
大きければ大きいほど
失うものも大きい

遊びや感情で
叫んでいるわけではない

好きで人を
ののしるのではない

守るべきものが
それだけ大きいからなのだ

守るべきものがない者には
決してわからないことである

許せといって
叩くのだ
posted by 無我 at 01:44 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月08日

ありがとう ごめんなさい 

ありがとうと
ごめんなさいは 
どもって言ったほうがいいんだな

スムーズに言っちゃうと
気持ちがこもって聞こえない

どもって言うと
いっしょうけんめい言ってる感じがする

あ、ありがとう
ご、ごめんなさい

こんな感じでいいんだな
posted by 無我 at 01:58 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月25日

(盗作)お寺めぐり

あなたがいつか話してくれた
お寺を僕は訪ねて来た
二人で行くと約束したが
今ではそれもかなわないこと
 お寺めぐりのバスは走る
 窓に広がる青い墓地よ
 悲しみ深く胸に沈めたら
 この旅終えて街に帰ろう

幸せそうな人々たちと
お寺を巡る一人で僕は
うなる読経のあの激しさで
あなたをもっと愛したかった
 お寺めぐりのバスは走る
 僕はどうして生きて行こう
 悲しみ深く胸に沈めたら
 この旅終えて街に帰ろう

 お寺めぐりのバスは走る
 窓に広がる青い墓地よ
 悲しみ深く胸に沈めたら
 この旅終えて街に帰ろう
posted by 無我 at 17:03 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月17日

般若心経

久遠の昔、観音菩薩が
六波羅蜜の最終段階である
般若波羅蜜多行に没入していた時
悩みをもたらす五つの要素、すなわち
物質、感覚、思考、行為、記憶はみな
縁起によるがゆえに
固定性が無いものだと見抜いて
一切の苦しみから解放された。

シャーリプトラよ。
物質世界とは縁起に異ならず
縁起によって物質世界は成り立つ。
物質世界の裏には縁起があり
縁起によって物質世界がもたらされる。
これと同じように
感覚も、考える事も
行う事も、記憶する事も
全て縁起によって成り立っているのだ。

シャーリプトラよ。
世の中のあらゆる現象は
縁起によって成り立ち
生まれることもなければ
滅することもない。
その本質において
汚れていると言う事も
きれいだと言う事も無い。
増えることもなければ減ることもない。

ゆえに
この縁起と言う真理を悟った者には
物質世界も、感覚も
考える事も、行う事も、記憶する事も
五感も、意識も、形も、声も
香りも、味も、感覚も、感覚対象も
意識も超越し
それらに縛られる事が無い。
その境地は、迷いや
迷いが無くなると言う事さえ超越する。
やがて、老死を避ける事も
老死を受け入れる事も問題で無くなる。

苦集滅道と言う哲学概念すら超越し
知る事も、得る事も求めない。
何かを得ようとする事が無いから
般若波羅蜜多に住する菩薩は
心に妨げが無い。
妨げが無いゆえに
恐怖が有る事も無い。
真理をさかさまに見る事も
妄想する事も遠く離れ
彼等は永遠の平安に入っているのだ。

三世十方の久遠の諸仏はみな
般若波羅蜜多の実践によって
無上にして正しい悟りを得ている。

ゆえに知るべし。
般若波羅蜜多とはいったい何か?
これは、大いなる真言であり
これは、明らかな真言であり
これは、無上の真言であり
これは、比べるもの無き真言である。
なぜならば、よく一切の苦を除き
真実にして偽りが無いからである。

このようにして仏陀は
般若波羅蜜多と言う真言を説かれた。
すなわち、その真言とは
 ガテー ガテー パーラガテー 
 パーラサムガテー 
 ボーディ スヴァーハ

 (行け!行け!彼岸へと行け!
  煩悩無き彼岸へとたどりつけ!
  菩提を開け!一切衆生に幸あれ!)
posted by 無我 at 01:32 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月03日

常識と宗教

常識では解決できぬ事を
解決するのが宗教である
常識で解決できるものは
常識で解決すればよい
常識では解決できぬ事を
宗教が解決する
posted by 無我 at 14:10 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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